定点観測日誌

キラキラ輝くキミを見て

今更のJUMPing CARnival

新しいアルバムの発売が決まって

夏のライブが楽しみなこの時期ですが

JUMPing CARnival DVDの話です。

 

久しぶりにDVDをみていて

初めて見た時感じた驚きをそのまま再体験して改めて思ったのが

SUPER DELICATEでオチに使われるのが「伊野尾慧」という

選択肢の斬新さ

 

いのちゃんはグループ内で決してお笑い担当やいじられキャラではなく、

世間的には大卒ジャニーズ、女の子にも勝っちゃうぐらいの可愛い

きれいなお顔の持ち主で売り出しているわけで

「オチ」になる要素がないと思うのですが

他のメンバーがそれぞれ2人組みになって仲良くワチャっとしている中で

いのちゃんは1人あぶれてしまうというオチがある演出になっていて、

スポットでいのちゃん一人が照らされるまで

そんな展開になるなんて思いもせず、

「うわ・・いのちゃんがオチとかなんてJUMPは贅沢なんだ!!」と

よくわからない憤りと衝撃を感じました。。

 

本当は笑うところなのかもしれないのですが、

積極的に前へでて笑いをとるタイプのイケメンはいるのは知ってても

美形と称されるタイプがオチとして配置される時代がきたということに

笑うことをド忘れてしてしまうくらいのショックがありました

 

いのちゃん自らが手を挙げてしたのかは分からないですが、

「完全無欠なアイドル」売りから距離を取ろうとしているように感じることが

窺えるいのちゃんなので、これは本人の希望が少なからず

あるんじゃないかと感じます。

 

容姿のことを褒めれてそれにいのちゃんが反す言葉が

「自分もいつもきれいな訳じゃない、小汚い時もある」というのを

あまり雑誌類を見ない自分でもちょこちょこ目にすることがあり

この「小汚い」をいうワードのチョイスにいのちゃんらしさが

出てる気がしてならないんですよね。

 

だって、「小汚い」って生々しいというか

リアルな生活感を表すには適切な表現だと思うんです。

物は言いようなので、「普段はスウェット」や

「何もしないで外出する時もある」とか当たり障りなく、

普段の自分を表す言い方なんていくらでもある中

あえてマイナスの印象を与えかねない、

むしろ与えることを望んでいるかのように

独特なワードを選ぶところがなんとなく伊野尾 慧らしいなと

 

 

でも、どんなにいのちゃんが自身のことを小汚いといっても

世の中で使われる「小汚い」には満たないんじゃないか、

小汚いの定義がちがう、もしくは使い方間違えちゃったんじゃないかと思いつつ

自分自身のことを振り返って

むしろ彼が小汚いというのであれは、自分は大丈夫なのか・・・とか

色々不安に感じてしまうので

一度ぐらい可愛いことを素直に認めた発言を聞いて安心してみたい気がします。